ほっとスマイル 子供のいないほんわか夫婦

ほっとする時間が大好きな40代と50代夫婦です

20日目【不妊治療終了後の日記】3年後まで1074日

不妊治療を終えて20日になる。
私が目にしたデーターでは、子供のいない人生を気持ち的に受け入れるのに3年ほど要する結果だった。
なので、3年後のその日を迎えるまで、書いていこうと思ってペンを持っている。

生化学流産の診断が先月あってすぐに、妊娠を継続させるために飲んでいた薬を中止した。

その3日後、すぐに生理がきた。

生理周期が順調であれば、そろそろ2回目の生理がはじまる。
先月の生理が、遠い昔のようでもある。

もう、ここ最近は涙は流していない。
外出をして、子供や赤ちゃんをみると心から可愛いなあと思うし、夫ともその感情を共有している。
でも、そこまで。
欲しいな、とか、もし私が今あのお母さんみたいに赤ちゃんを抱いていたら。とか少し思うけど生々しい感情はない。

けど、繋留流産のあとは、生々しい感情(嫉妬や自己嫌悪も含めて)は半月位続いたし、直後は直視できなかった。道も迂回したりして避けてた。
これまでの生化学流産でも、期間は短いにしろ生々しい感情や、赤ちゃん連れを避ける行動はあった。

今回は、生々しい感情はあるけど期間は短く、これまでを思い返すと薄かった。

なぜか?

それは、やはり「今回で最後の移植」と決めていたからだと思う。
妊娠しても継続する可能性がデーターで事前に分かっていたし、予感もあったし、
総合的に「やりきった」という気持ちがあったから。

「やりきった」という感情を「不妊治療はここまで」と決める判断材料の最たるものだろう。でも、何をもってやり切ったとするのか?とても難しいし、100%そう思うのは難しいのではないだろうか?

私も、100%ではない。
予算、精神状態、年齢、今までの経過などなど、たくさんの「事実」を並べて「もうやり切った」というより「もうこれ以上は無理」という現実がはっきりしたというほうが、適切な表現かもしれない。

辛いのは「もうこれ以上は無理」と断腸の思いで決めても、人はたやすく「もう一度トライしてみたら」という言葉を言ってくること。時期的なものなのか、私がこれからもひっかかるキーワードになるのか?今は分からないけれど。

「ここまで、頑張ったね」の一言が、今の時期は一番こころにしみる。

さて、今日は、もともと携わっていた職業に戻るかを探るべく、転職会社に連絡を取ってみようとおもっているところ。
自分ファーストで参りましょう!