ほっとスマイル 子供のいないほんわか夫婦

ほっとする時間が大好きな40代と50代夫婦です

1日目【不妊治療終了後の日記】到達まで1095日

久しぶりの投稿になりますね。いともふです。

今日から【不妊治療終了後の日記】なるものを書こうと思います。
頻度は未定です。

読んで辛い気持ちを思い返したり、今現在の辛い感情に触れてしまう方もいるかもしれません。そう感じた文章がでてきたら
どうか無理をなさらず、読み進めずに、そっとページを閉じてください。

 

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書こうと思った動機は、
・今の感情を文字に起こすことが、気持ちの回復には必要(かもしれない)と思った
不妊治療で望む結果がでず、子供のいない生活にシフトした人の話を聞きたくても情報が少ないので自分で書いてみようと思った
・のちのち、自分で見返して、自分の気持ちの変遷を知りたい。そして、「お前、頑張ったな」と褒めたい

ちらっと目にしたデーターによると、不妊治療を終えてから気持ちの整理ができたと感じるまで3年かかった人が65%近くいるそうです。

でも、3年経っても、何年たっても気持ちのさざ波がある日が必ずあると思うんです。
だから、他人が当事者に対して「もう〇年たったし、大丈夫っしょ!」と思うのは違います。
でも、不妊治療経験していなければ、そう思わなかっただろうな。
自戒も込めてそう思います。

タイトルの「到達まで1095日」の意味は
今日から3年後の私に向けて日々、書いていこうと思ったからです。

到達までカウントが進むにつれて、私の心情、生活状況はどう変化するのか。
到達まで0(ゼロ)日になった未来の私が、きっと笑顔で待っていてくれるはず。
そう信じて。

ちょっと前置きが長くなりましたが、始めますね。


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昨日、生化学流産の診断がありました。
不妊治療をはじめて5回目の胚移植の結果でした。

私は3年ほど前の38歳で不妊治療を開始。
繋留流産2回
生化学流産は、今回を合わせて3回。
(生化学流産は厳密には流産にはカウントされないらしい)

3年の間に検査が続いた時期、採卵が続いた時期、お休みした時期
それがあったので移植の回数は5回ですが、
長かったような、でもあっという間の3年間でした。

5回の胚移植は、全て体外受精
そのうち2回はPGT-Aという検査をしたB判定胚移植でした。
(B判定と一言で言っても、解析内容は非常に複雑で多岐にわたります。この検査は私が受けたときは遺伝カウンセリングにて専門家による説明が必須でした。今後、変わるかもしれませんが、いずれにしてもブログやネットだけの情報を鵜呑みにするのはおすすめできません)

着床は毎回しました。
なので、先生も「着床しないままの人もいる。いともふさん(私)は、毎回着床する。いともふさん夫婦の気持ちが一番大事だけど、もし子供を望む気持ちが少しでもあるならこのまま諦めたらもったいない」と言われ続け、私も夫もそう感じて、移植を繰り返しました。

ですが、4回目の生化学流産の結果をうけ、もう断念しようと一度は思ったのです。
そのあと、悩みに悩み、夫婦で話し合いを重ね、遺伝カウンセリングも自費で再度実施してもらい、5回目の移植をすることに決めました。

やはり、子供が欲しかったからです。
お腹で育て、産み、自分の腕で抱きしめてあげたかった。
そして、大変だ大変だと言いながらも愛おしい我が子を育て、家族を育みたかった。
夫にも同じ思いをさせてあげたかった。
両親にも抱かせてあげたかった。

5回目の移植の結果、先週受けた採決でのhcg値は低いながらも陽性判定。
そして、昨日、hcgは下がっており生化学流産が確定しました。

今回は、妊娠を継続させるための内服が非常にきつかった。
副作用は体温上昇、倦怠感、気持ちの落ち込み、吐き気
いずれも妊娠したら出る反応ですが、私の場合、妊娠が終わっているのに
薬の効果のため、この症状がありました。

でも、判定聞くまでは、赤ちゃんがいるんだって信じ込もうとしてるので
嬉しいんですよね。安心するんですよ。
診察室で結果を聞くと「ああ、やっぱり薬の反応だっただけか」ってなるんです。
泣けてきます。

「だめだった」の結果は
なんど経験しても、慣れることはありません。
妊娠超初期であっても、つらいです。
もっと妊娠週数がすすんでいたら、もっと辛いはず。
だから、私の辛さは軽いんだから、こんなに落ち込む資格はないんだ。
って考えてしまいます。

そんなはずはない、つらさはみんな違う。
だから、自分の辛さをありのまま認めてあげていいんだ。
無理に前を向く必要はない。

って、思うけれど、分かっているけれど
立ち上がれば、前を向かねば、甘えちゃいけない。
そう思う自分もいます。

陰と陽の2人の自分が入れ替わり、立ち替わりいます。

ジェットコースターのように、数分で入れ替わることもあれば
数時間交代の事も。
疲れます。
自分ではコントロールできません。しようともがいても。

夫に慰めてもらいたい。
でも、どんなに言葉を尽くされても、今は、際限なく求めてしまう。
どんな言葉だったら、私は満足するのか?自分で考えてもわからないんだもの。
求められても言葉は出ないよね。
夫も辛いはず。

それでも、私を心配して気遣ってくれているのはひしひしと感じます。
1人じゃなくて良かった、夫という家族がいてよかったと思います。

涙が気付くと溢れます。
何に対して、どんな感情で涙がでるのか。
わかりません。

そして、今まで言われた些細な嫌だった言葉
先生のふとした嫌だった言葉、態度が走馬灯のように頭をめぐり
自分でも、そんなこと考えても仕方ないと分かっているのに
イライラしたり、もやもやします。

何かの、誰かのせいにしたくなります。

水たまりの中で、羽も足もみずにからめとられてビタビタともがいている虫のような感覚です。
このまま、何をどうしていいのか
どうしたら楽になれるのか
今、どんな状態なのか
本来の私ならわかるのに、
ぜんぜんわからなくて、恥ずかしくて、悲しくて、むなしくて、悔しくて
もういないと分かってても愛おしくて、お別れが寂しくて
動きをとめて休みたいと思う私もいます。

何もしたくなくて
どっかガラッと環境の違うところで
1人でなにもせずに過ごしたいとも思います。

気が付くと床の上でぼーーーーーっと空を眺めています

言葉にすることで、気持ちが落ち着いてきました。

お世話になった方(医師・看護師・スタッフ)
家族
友人
などなどに感謝の気持ちはあります。

でも、「ダメだった」と言われた当日
翌日の気持ちは自分で精いっぱいで
今日、書いたような心境です。

3年後の私よ。読んでますか?
3年前の私は、あがいていますよ。
きっといいこと、ある
大丈夫。
そう言ってるかな、きっと。

卵子を育てるために、そして妊娠しやすくなるように
ここまで薬を沢山打って、たくさん飲んできました。
この体もよく持ちこたえて頑張ってくれました。
私のからだ、ありがとう。大好きよ。
薬はもうおしまい。無理に歯車わますのに、協力してくれてありがとう。
ゆっくり休んでいいからね。

きょうは、このへんで。